晴美制作室 株式会社

27.12.2017第5回ミモザ賞受賞インタビュー 東海晴美さんに聞く

インタビュー:ジャーナリスト 小沢ちとせ

1998年6月、英語版の『ヴィオネ』がアメリカのクロニクル社から上梓された。1993年に第5回ミモザ賞を受賞したベティ・カークさん、東海晴美さん、成瀬始子さんの3人は、その後も英語版と日本語の普及版の出版に向けて奮闘していたのだ。「これでこの本に関しては、すべてがやっと終わったという感じがします」と、東海さん。実に、ベティさんがヴィオネの研究に着手してから25年。東海さんが日本語版の編集を手掛けてから10年という年月が流れていたのだ。東海さんに、その長い旅路を振り返ってもらった。

ベティさんに以前、取材したとき、ヴィオネの研究に10年以上、出版社探しに8年かかったと聞いています。日本語版は91年12月に出版されましたが、東海さんはいつ頃から編集を始めたのですか?

東海:88年5月に求龍堂の松坂静雄さんから依頼があって、ぜひやりたいと思いました。ヴィオネについてはバイアスを考案した偉大なデザイナーということだけしか知られておらず、世界で1冊も本が出版されていませんでしたから。

それにちょうどその頃、私はバリ島の伝説的な音楽家の本を作っていたのですが、取材の半ばでその方が亡くなり、とても苦労していました。ベティさんの苦労もよく理解でき、この本も完成させてあげなければと強く思いました。この2人の芸術家が活躍した今世紀初頭は人間の好奇心と創造性が全開した時代で、スゴクおもしろい。バリとパリも通底しているんですよ。

《ベティさんはメトロポリタン美術館のレストアラー(修復師)として、「インベンティブ・クローズ 1909-1939」展でヴィオネの服に出会った。73年、50歳の頃だ。これまで見たこともない構造に驚き、さっそく98歳のヴィオネに会いにパリへ。本を出版する快諾は得たが、それからが苦労の連続。翌年ヴィオネは亡くなり、いざ作業をすすめると、フランスなどの美術館からの貸し出しや、写真掲載の許可がなかなかおりないといった具合だった。》

この本を編集するにあたって、一番大変だったのはどんなところですか?

東海:英語、仏語、服飾史や美術史、素材や縫製、幾何にも精通していなければなりませんでした。経済的にも大変でした。ベティさんは当時、周囲からいつも眉間にしわを寄せている暗い人と思われていたそうですが、私もまったく同じ状態に陥りました。特にパターンには悩まされました。
ファッションデザイナーの本というと美しい写真集ばかりで、パターンの掲載されたものがないのですね。企業秘密の部分でしょうから。だからヴィオネの本では、服の構造が見える作品集が作れる!と思いました。外観の写真と設計図がきちんと入った、建築家の作品集のような本を作りたいと思ったわけです。

東京とニューヨークで、どのように作業をすすめたのですか。

東海:手紙とファックスです。パターン図のそばに、「左右対称にする必要はないか?」「B1とB2の寸法が合わないが?」「あきはどこか?」など、質問を書きそえて送りました。ヴィオネの服は、現在も着方のわからないものがあるほど難解です。正確を期して一つ一つミニトワルを作りながら進めました。質問の数は500を超えるでしょう。小野暢子さんや今枝美香他スタッフに恵まれないと、とてもできませんでした。

そうすると、ベティさんは東海さんの質問に答えるために、再調査もしたのですね。

東海:ええ。普通なら、なんて無礼なと憤るところでしょう。10年以上もの間、たった一人でヴィオネの実物にあたって接ぎ線を計り、方眼紙に移しとって…という果てしない作業を続けてこられたのですから。しかし粘り強く推敲を重ね、再調査にもあたってくださいました。ベティさんは、純粋にヴィオネの服に対する好奇心と情熱だけで仕事をされた。だから私もついて行くことができた。気遣いのある繊細な方ですが、仕事となるとアグレッシブでタフ。アメリカ人の在野の研究者の底力を見た思いです。

成瀬さんのデザイン作業は、いつ頃からスタートしたのですか?

東海:1990年7月からです。腕力のあるデザイナーでないとこの仕事はとても無理だと思いましたが、幸い次の時代に残すべき仕事だと深く認識して下さって、緊密な共同作業が始まりました。お互いのスタッフ総動員の日々でした。成瀬さんのこの本に対するコンセプトは次の言葉によく表れていると思います。「ヴィオネの多彩なテーマのひとつに幾何学がある。本書を通じて幾何学という言葉を魅惑的に響かせたい。また本は情報であると同時に良質なプロダクトでなくてはというのが、かねてよりの私の思い。文、写真、絵はもちろんのこと、文字、紙、印刷の奏でる空間を体験してほしい、ヴィオネが空間の調和を布で表現したように」(『BRUTUS』1992年1月15日号)。ヴィオネの服には20~30年代のアートスピリットが生きていますし、“有機的デザイン”という考え方がアートディレクターの成瀬さんを刺激したのだと思います。

《約4年かかって『ヴィオネ』の本は完成する。ヴィオネの伝記には時代背景、アートシーンなどが盛り込まれ、パターンは38点。それぞれに解説がついている。ヴィオネの作品の写真、図版は約500点。当時の雑誌のキャプションも翻訳され、さらに服の所蔵美術館、年表などがきめ細かく網羅されている。まさにヴィオネの全貌を写し出した本である。》

日本語版は完成したけれど、まだ最終目的が残っていたのですね。

東海:そう、喜びは半分。アメリカ人のベティさんにとって、英語版が出版されなければ仕事は終わらないと、成瀬さんともども思っていました。そこでダミーを作り、94年1月の国際ブックフェアに出しました。

《クロニクル社が目にとめるが、円高もあってなかなか実現に至らなかった。やっと96年に出版が決まった後もさまざまな問題や作業が山積みだった。》

ついに英語版が完成したときは、どんな感情が湧き上りましたか。

東海:全ての原稿をクロニクル社に納めた直後、ベティさんからファックスがきました。ちょうど真冬だったんですが、「祝うべきときが、ようやく来た! 外へ出て、スノウボールを誰かに投げて、逃げろ!」と。私もすぐファックスを送り返しました。「モチロン! すぐ外へ出て投げてやるわよ、みんなに!」って(笑)。
これからは本自体の力で世界に出ていくでしょう。ミモザ賞の受賞には勇気づけられましたし、長い間ギブ・アップしなかった求龍堂にも感謝したいと思います。


『真のファッションの担い手たち―ミモザ賞10周年記念』
(松屋広報課 原口理恵基金発行・1998) より