晴美制作室 株式会社

29.12.2007来年のテーマは、存分に生き抜くこと

今年は亡くなる人が多かった。城山三郎さん、小田実・・・今、亡くなってはいけない!と思う人が亡くなる。身近なところでは6月21日、パルコを創った増田通二氏が亡くなられた。パルコはファッション・ビルの運営だけでなく広告・出版・劇場の分野で70年代を代表するクリエーションを次々に生み出したが、そのムーブメントの発信源となったのが増田通二氏だ。志ん生そっくりのベらんめいで檄を飛ばす増田専務の声を、今も鮮やかに思い出すことができる。70年代が消えていくようで寂しいと思っていたが、寂しいなんて言っていられない。8月14日山口小夜子さんが亡くなった。いまだに信じられない。小夜子さんは70年代におかっぱの日本人形のようなスタイルで世界中を席巻したファッションモデル。築地本願寺で行われたお別れの会の小夜子さんの映像と「水が大切」というメッセージが心に残っている。

増田通二氏。1983年専務時代。
増田通二氏。1983年専務時代。

晴美制作室関連で上げるなら、あ~~、美術史家の若桑みどり先生も亡くなられた・・・ COCOONのプログラム(10号・松尾スズキ演出『キレイ』)で7年前、蜷川幸雄、横尾忠則、との鼎談に参加してくださった。タイトルは「五感を開く、美を食べる」。小柄な身体に弾丸のような言葉。ちょっと戦々恐々としていたら、とても率直なかわいい方で、終了後、横尾さんお気に入りの中華料理屋での子供と教育の話も大変興味深かった。

横尾忠則氏のアトリエのベランダで。左から横尾忠則、若桑みどり、蜷川幸雄の各氏
横尾忠則氏のアトリエのベランダで。左から横尾忠則、若桑みどり、蜷川幸雄の各氏

ご冥福をお祈りします。(東海晴美)


※プログラム内にシリーズとして掲載された芸術監督蜷川幸雄氏の鼎談「ニナガワ・オデュッセイ」は10回分をまとめて、『反逆とクリエイション』という題名で紀伊国屋書店から出版されています。是非読んでください。