晴美制作室 株式会社

24.10.2007バリの報告、遅くなりました!

さて、私にとっては20年ぶりのバリ。1986年にプリアタン村の伝説的な音楽家マンダラ翁に取材して、4年がかりで『踊る島バリ』の本を作って以来だ。

マンダラ翁没後20周年の記念イベントが開催されると聞いたのは、トペンの踊り手、古谷野哲郎さんから。葬儀の模様も本に収録したが、もう20年経ったとは! とても信じられない。

プリ・カレランの水鉢でさえ懐かしい!
プリ・カレランの水鉢でさえ懐かしい!

グンカ(偉大な父の意で、マンダラ翁の通称)の声が残るインタビュー・テープや写真などを資料として提供したものの、私自身が出席できる見通しはなかなか立たなかった。

それでもやっぱり行きたい!と、ガルーダに飛び乗ったのは閉会式2日前の9月21日。翌日のお昼前にさっそく、プリアタンへ。開会式で披露されたバグースさんのクビヤール・ドゥドゥックが特別にすばらしかったと知人たちから聞いていたので、真っ先にグンカの王宮を訪ねた。ここプリ・カレランは、女ばかりの取材陣で1ヵ月を過ごした懐かしい場所だ。

バグースさんは第三夫人の長男で、有名な踊り手。当時、日本人にも追っかけがいたほど人気だった。バグースさんと第一夫人の長男の故バワさんと――このお二人の助力がなければ、グンカの取材は不可能だったと思う。

ふとお母さんはお元気かしらと思いつつ(母の介護をしているせいか・・つい)、屋敷をのぞくと、お母さんが歩いている!! 思わず「バグースのお母さん!」と叫ぶと、もちろんOKAASANの意味はわからないから、「バグースなら家にいるわよ」と。

訪問を知らせてもいなかったのに、部屋から出てきたバグースさんは私を見るなり、「オー! ハルミ!」それからお互いの話は止まらない! バグースさんは痩せてナイスな中年となっていました。

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20年前、この前庭でグンカの葬儀の公演がにぎやかに繰り広げられた。harumi-inc.comにenterすると、バリの女性の群舞が表れる場合があるが、(出ない場合は、左肩のHARUMIをクリックしてください)その写真は、ここで葬儀のとき内藤忠行さんが撮ったものだ。

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グンカの部屋をのぞむ。このテラスでソファに座ったグンカを取り囲み、毎朝話を聞いた。取材陣は、ライターの大竹昭子、通訳の原田紀子(現・呼子紀子)、編集の私+山下由起子(現・小鮒由起子)だった。

バグースさんとお母さん。20年ぶりの再会に緊張してぴんぼけ!
バグースさんとお母さん。20年ぶりの再会に緊張してぴんぼけ!

記念イベントは「プリアタンが生んだ偉大な師を偲ぶ」と題され、音楽の師アナック・アグン・グデ・マンダラと踊りの師グスティ・マデ・センゴッグの二人を偲んで8月26日から開催された。裏通りにバレルン・ステージという名の立派な劇場ができていたのも驚き。20年前は、電気も(もちろん水道も)なかったから、真っ暗闇のなか懐中電灯を手にそわそわと表通りのバレ(小屋)に踊りを見に行ったものだ。

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劇場の壁面に所狭しと張られた歴史的な写真に見入っていると、立派な青年がにっこりして私の前を横切った。しばら~くしてから、エッ、オカ?! バグースさんの弟で、バリスの名手。20年前は、遠目に私たちを見ているシャイな少年の印象だったのに!

9月23日の閉会式は、芸術に功績のあった人たちの表彰、1952年アメリカ公演時の映像上映、若手による古典と新作の上演と続き、なんとお弁当付きで楽しんだ。

楽団長はグンカ亡き後、バワさん、バグースさん、そして現在のオカさんへと引き継がれていて、グンカの死を一族でりっぱに乗り越えたこと、時の経過をしみじみと感じた。

ステージの入り口。左手に、古い写真が飾られているのが見える。
ステージの入り口。左手に、古い写真が飾られているのが見える。
次代を担う踊り子。ウサギの新作衣裳で。最終日のため、グル・スカルノ他名士の出席も多く、劇場内での写真は遠慮して取らなかったのが残念。
次代を担う踊り子。ウサギの新作衣裳で。最終日のため、グル・スカルノ他名士の出席も多く、劇場内での写真は遠慮して取らなかったのが残念。

日本を出る時は、微熱と過労で目は真っ赤。記念イベントを見る以外は、ただもうバリの自然の中でぼ~~んやり、の~~んびりしたいと思っていたのだが・・・到着の翌日にバグースさんと会えるし、聖獣バロンの行列に遭遇するし、ドイツ人画家ウォルター・シュピースの最後のアトリエがあったイセ村にも行けたし、思いがけずサヤン村のオダラン(寺院の創立祭)に参列して聖水を受けることができたし、充実の旅になった。

また滞在中に、ビラ・ビンタンの光森史孝さんが近隣の日本人対象に「マンダラ翁を語る会」を企画してくださり、バグース・ケイコ夫妻も出席して、とても和やかな楽しい会になったのはうれしかった。

グンカには見えないものの未来を読み取る力があったこと、開会式のバグースさんの踊りは7年ぶりだったけれど、幼いころから厳しい修業を受けてきたのでブランクを乗り越えることができたのだろうという話、夫妻の長男イスワラ君も踊りと音楽の訓練のため、生まれて3日目から指を曲げる練習が始まったこと、しかし技術だけではなく魂こそが何より大事であることなどなど、とても貴重な話を伺うことができた。

1週間の滞在だったが、在バリ30年になる鈴木靖峯さん、バグースさんから投げかけられた課題は、とても重いもの。さて、どうしようか・・・

バリに出かける前、「バリはとても変わりましたよ(だから、ショックを受けないように)」と何度も聞かされた。20年ぶりに見たバリにはいろいろ思うことがあるが、それはまた・・いつか・・・

(東海晴美)

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なつかしいバグース・バーで。プリアタンにとって初の海外公演となった1931年の演目を、当時と同じ振付や衣装で上演することができたら音楽と踊りのパワーが戻ってくるだろうと語ってくれたバグースさん。